おすすめ城崎散策♪

●観る!名所等をご紹介

城崎文芸館

 千数百年の歴史を持つ城崎温泉は、多くの文人墨客に愛され、数多くの作品の舞台となっており、『城崎文芸館』ではそれら文学作品に関する資料を収蔵・展示しています。「城の崎にて」を書き上げた志賀直哉や「白樺派」と城崎の関わり、その他さまざまな作品に登場する城崎を紹介しています。

また、城崎温泉の歴史や伝統工芸の「麦わら細工」に関する展示を行うほか、「麦わら細工」製作体験コーナーもあります。また入り口には城崎ならではの足湯があります。



■開館時間               ■観覧料
午前9時〜午後5時            大 人/400円(300円)
(入館は午後4時30分まで)       中高生/300円(150円)
休館日/毎月最終水曜日        
※( )は20人以上の団体
(祝日の場合は翌日)

城崎麦わら細工伝承館

城崎麦わら細工伝承館では、現在の作品(約40点)から、明治・大正・昭和初期などの作品(約200点)を御覧いただけます。
白壁の土蔵をそのまま生かした建物は、それ自体もレトロで美しい城崎の生き証人です。









 ■開館時間                                  ■観覧料
午前9時〜午後5時                        大 人/300円(200円)
(入館は午後4時30分まで)        中高生/200円(100円) 
休館日/毎月最終水曜日               ※( )は20人以上の団体
(祝日の場合は翌日)

温泉寺

温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹です。道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。 その後、大和(奈良)の長谷寺の観音さまと同木同作の由緒正しき観音像を得て、寺を開創。

末代山温泉寺の山号・寺号は、聖武天皇より「城崎温泉の守護寺」として賜わったもので、以来約千三百年の間、城崎温泉とその入湯客を見守る山陰の名刹です。

城崎美術館

城崎美術館は、城崎温泉ロープウェイの温泉寺駅、温泉寺本堂のすぐ東側の城崎温泉を見下ろす山腹にある。昭和46年の開設以来、温泉寺所蔵の古文化財を展示している。平成3年には、それまでに城崎町内で発掘調査した埋蔵文化財の遺物を更に追加しています。展示構成は、温泉寺所蔵の文化財を大きく一同に展示し、「温泉寺の仏教美術」と「城崎の遺跡」の2つから成り、従来とは異なった視点で城崎の魅力を新鮮にしている。そして城崎の太古から現在に至る生活文化を芸術に焦点化した斬新な展示方法で、体感しながら見ることが出来る。

■開館時間               ■観覧料
午前9時〜午後4
時30分       大 人/300円(学生は無料)
休館日/第2・4木曜日
        (温泉寺と共通が400円でお得です)
        
                   

太田垣翁資料館

太田垣士郎翁は、城崎町で出生され、その後,関西電力(株)初代社長、関西経済連合会会長を歴任されるなど、経済界の指導者として戦後の日本経済の復興をリードされ、今日の日本国繁栄の礎を築かれました。

こうした中で、故郷城崎町発展のため、観光施設としてくろよんダム建設時のノウハウを活かしたロープウェイ事業を発案され、関西電力(株)、阪急電鉄(株)、関電不動産(株)、城崎町並びに地元有志などの多くの賛同を得て、昭和37年8月、城崎観光(株)が創設されました。このような経緯を経て、ロープウェイは城崎温泉街、円山川及び日本海を一望できる温泉寺大師山に1年近くの工事期間の後、昭和38年5月に完成し、現在も城崎温泉の観光施設の目玉として、お客様に親しんでいただいています。

因みに、温泉街とロ−プウェイで結ばれた大師山は、翁が幼年時代に友達と駆け巡り、遊ばれた思い出の場所でもあります。

愛用品の数々も展示される館内
愛用品の数々も展示される館内

鼻かけ地蔵

楽々浦湾の畔にある小さな祠には、「日本昔ばなし」にも登場した
鼻かけ地蔵』がお祀りしてあります 。
「願いを一つだけ聞いてくれる」地蔵だとか。

昔、楽々浦に住む貧しい漁師、喜助の夢まくらに地蔵が立った。
「ある年の大水で川底にさらわれた。ここは冷たくて暗いから、助けておくれ」。
次の日、漁に出かけると、夢の通り地蔵がかかったので、引き揚げて道端に丁寧にまつった。

 すると、地蔵の鼻から米粒がポロポロ落ちてくるではないか。
どんどん出て、喜助は近所に分け与えるほど裕福に。だが、そこで欲を出したのがいけなかった。
「鼻の穴を大きくしたらもっと出るのでは」。
のみでたたいた拍子に鼻がそげ、米は二度と出なくなった。

 喜助は再び舟に乗って網を打った。反省して毎日地蔵にお参りをし、
ただ「心豊かに生きられますように」と祈った。やがて、嫁をもらい、貧しいながらも幸せに暮らしたという。

ハチゴロウの戸島湿地

2002年8月5日、湿田だったこの地に一羽の野生のコウノトリが舞い降りた。
この雄の野生コウノトリは中国大陸から飛来したとされ、確認された日にちなんで「ハチゴロウ」と名づけられた。
以来5年近くにわたり豊岡市に留まって生活を続け、地域住民や愛好家らに親しまれていたが、2007年(平成19年)2月6日から行方不明となり、同2月27日に同市金剛寺の山林で死亡しているのをコウノトリの郷公園の関係者と獣医師が確認した。
コウノトリ野生復帰事業においてハチゴロウの齎した影響は大きく、野生のコウノトリは通常どのような行動をとるのか?など多くのヒントを得る事が出来た。
これらの功績を称えるとともに、市民に親しまれた記憶を風化させないよう、保全した湿地に名前を残すこととなった。